ブログを書き続けるには日記ではなくエッセイを書く意識で思いをぶつけよう

今回はこんな人を意識して書きました。

  • 単なるメモ程度の日記ブログでは満足しない
  • 公開するならそこそこ他人が読める程度の文章でないと自分も満足しない
  • でも見出しや長文は書く気が起こらない

まぁズバリ自身のことなんですけどもね。

最初から他人に役立つ記事なんて意識しない方が長く続く

前回の6記事目から4日が経過してしまいました。

  • 本当は毎日でも更新したいのにどうして続かないんだろう。
  • 時間はあるのにブログとなると改まって手が止まってしまう

こんな同じ悩みで困っている人を意識して書いてみました。

前回記事に引き続いて100記事余裕で行けるようになるためのヒント考察です。

見出しを付けないと完成しない長文記事なんて長続きしない

役立つ情報記事ではなくて自分の日常視点を表現したいだけ

フツーの記事の書き方って見出しから書くが定番でしょうねぇ。

でもそれって全員に当てはまるの?って疑問が出ます。

みちのような憑依型ブロガーにも最適な方法なのってとこからの話です。

「見出し」ありきなんてもうこだわってはいけない

見出しh2とかh3ってつけなけれゃならないって、つまり全体構成とかを考えてのことでしょ。

憑依型ブロガーにとってそんなことよけいな足かせ。

もちろん、結果的に見出しがついたら読みやすいんだけど。

だからもう長文とか1000文字以上だとか意識しない。

好き勝手に書いていたらすでに1000文字オーバーって、みちにとっては当たり前の状態なんだから。

1記事の文字数より記事数を増やす「継続力」が重要

1記事の読みやすさより、もとかく量です。

質より量が先で大切

つまり継続力

読む側にとってはどっちがいいのか分からないけれども、自分事になったときはどうでもいいことだと。だってブログは自己満足。

誰だって元をたどれば、いくら建前並べても人の為とかっていっても結局は自己満足に行きつくわけなんです。

そう考えたとき「まずは自分」

読者よりも自分と割りきって記事数増やすに注力。

何でもいいからとりあえず書き続けるという継続力が最重要だと痛感。

といっても、世界中の人が読める状態での文章公開だからふにゃふにゃで自信ない無意味な落書きレベルの乱文駄文では自己満足にもならないとも思います。

ボキャブラリー豊富だとしても必然的に文章という作品からは自身のセンスが自然に問われるってことになりはしませんか。

だけど、どう問われようがどう評価されようが、そんなこと考えていたら何も書けなくなりますよね。

なので開き直って共感できる人だけ読んでくれたらそれでいい。をコンセプトにブログ記事書き続ればいいんです。

ブログでエッセイを書くを最優先で意識する

どうしてブログでエッセイなのか

ここからが今回記事の本題なのです。

f:id:ballance:20190919091319p:plain  「えっ? 今から本番なの、前置き長~っ」

どうしてエッセイなのか、それはもう前置きで書いた通り、まとめません。

f:id:ballance:20190919091308p:plain  「まとめたらええのにぃって思う? 余計に長くなるもんね~ 分からない人はもう一度読み直してみてね。

最初はショートショートの物語形式でブログ記事書いたら面白いかなと閃きました。

さっそく図書館でこんな本を借りてみました。

しかしながらショートショートをそれなりのレベルで作れるようになるまではある一定の練習が必要。

とてもじゃないがそんな過程までブログで公開したくないって思いました。

だって、ショートショートって起承転結まで考えないといけないでしょ。

そんなことは出来るけど、毎日記事更新するには精神的負担が大きすぎる。

そこでもう一段レベルを下げてみようと思い立ったのがエッセイです。

やはり書いていました、ショートショートの巨匠もエッセイを。それがこれです。

これ読んだら分かりますが1作品が短いのにとても分かりやすく、すーっと入ってくるのです。

さすが巨匠は違うと圧巻。

みちもこんなふうに1エッセイを1記事として公開したいと強く強く思ったのです。

今あなたが読んでくれているこの記事そのものはエッセイとはとても思えませんが、そのうちエッセイのような読み物に変わっていくのではという予感がしています。

今回も見出しは記事書きながら同時並行で書けたんですよ、最初に見出しを書いて構成したんじゃないですよ、あしからず。

最後に

みちが共感した格言

「物書きの世界は、現実でうまくいってないものたちが、その怨念をぶつけるところだ。そうでなければ成功しない」

ですよね、こんなブログシステムで自分の思いを吐き出す、それに対して他人が読んで役立つだとか、たくさんの人に読んでもらいたいだとかの欲望がどうして必要なんでしょう。むしろそれ邪魔でしょ。

自由に書き続ければそれでいい、そう思いませんか。

今回もまた自分が自分に語りかける文章でありました。